9月は今までとは違う台風の通り過ぎ方、どう受け止めて良いかわからない事件、いろいろありました。
綿は大分の綿栽培仲間が「フェス」と言ってましたが、全国的に豊作なようです。台風後、枝や幹が乱れましたが、実は引き締まりしっかりと成長し、順調に弾けています。私の無知のせいでメイブ(葡萄)が迷走していますが、株式会社ショーナンさんのアドバイスにより横に伸びる枝を落として、真っ直ぐに伸びるように支柱を立てました。乞うご期待。
雑草の逞しさ、成長のはやさをしり、畑を美しく保つには相当の労力がいることを知りました。一見何もしていないように見える畑はものすごーーーーーーい手がかかっている。綿栽培を始めて、見える世界が変化しました。自分が生きてきた過去を本当にそんなことあったのかな?ってそれって自分だったのか?不思議に思う。劇的な変化はひとつもないけれど少しづつ変化してここまできたら円で別人になっている!?そんなことがあるのですね・・・・。
「米一粒を粗末にしてはいけない」と言われてもピンと来なかった私が今は心底、農家さんを尊敬し、感謝しています。
お借りしている畑は集落の墓地と接しており、お彼岸やお盆など、節目ごとに近所の方がお参りにいらしたり、毎日お掃除をされている様子を見てどんどんこの場所が好きになっています。生活の一部に死ぬことが含まれている。都市で一人で暮らし、会社勤めをしていた時には意識することがなかったけれど、今はちょっとした田舎に暮らし、年齢を重ね、自分がその営みの一部になりつつあることを実感しています。そういうふうにしたかったんだとも思います。
これがこうしたいという具体的なことは全く思い浮かんでいなかったけれど、生きることの手綱を握っていたいという気持ちはこのように自分を方向づけていくのだなぁとつくづく思うのでした。
お墓掃除する人や、野菜を作る人、ごみ収集場所を掃除している人、誰も語らない、見ていない小さな行いが、積み重なって今があると同じく、戦争、宗教問題、拉致や国葬などわかりやすい問題、そしてわかり憎い問題も山積みです、これらも我々の無関心が生み出してきたもの。目を向けてできることを積み上げていきたいです。
なんとなく正しい人なトピックスが多くなっていますが、腹を立てたり、忘れ物をしたり、むちゃまずいラーメンを作ったり、奮発して買った刺身が見つからず、通った道を探し回って落とし物登録した挙句疲れ果てて、不機嫌になり誰かにとられたとさえ思い、「命あっただけでもいいではないか」なんて大袈裟に自分をなだめた翌々日に車の中が生臭いと思ったら干からびた刺身が隅っこにあったとか、スッキリもさっぱりも美しくも正しくもないのが残念なところです。